研修医時代
NHKスペシャル「研修医」
今、ちょうどNHKで研修医のテレビをみながらブログかいてます。
若い卒業したての夢と希望に満ち溢れた研修医が、現場で命を扱うことの厳しさや自分が何もできないことへの絶望を感じて戸惑う姿。
8年前の自分を、私はとても苦い思いで振り返る。
私は卒業して実家の近くの、最近では臨牀研修医制度がよいことで有名な病院にスーパーローテート制度の研修医として働き始めた。そのころはスーパーローテートを希望する人は1,2割くらいだった。ほとんどの同級生は卒業した大学病院に就職していた。
地方のアットホームな、悪く言うと馴れ合いの、国立大学の医学部を卒業した私は、試験も医学部の優秀な友達のノートを借りて乗り切ったような、学生だった。それでも、有名高校をでて現役で医学部に入ったという強烈なプライドが私にはあった。
研修して2ヶ月目。付き合っていた恋人と連絡が取れなくなった。電話しても留守電。返事は来ない。
その彼は都心のこれまた臨牀研修医制度の人気NO.1の病院で働いてた。そこは、きれいな看護婦さんがたくさんいることでも有名だった。
私は、眠れなくなり、一日中彼の電話を待ってた。
日中は集中力が無くなり、病院へ行くのがだんだんいやになっていった。何をやっても、私はだめだ、と思った。点滴を失敗しては泣き、オーダーを出し忘れては看護師さんに怒られ、ミーティングに遅刻しては上司に呼び出された。
ある日、私は朝、病院にいけなくなった。母は泣いたり怒ったりしていたが、最終的には病院に「娘は具合が悪くていけないそうです。」と電話を入れてくれた。
次の日、病院へ行くと、上司に呼ばれた。「心療内科を受診したら?」
上司に悪気はなかったのだろう。明らかに、私はおかしかったのだから。
でも、私は言葉では言い表せないほど、傷ついた。
受診後、「研修が始まって、疲れてしまったんだね。」と心療内科の有名な先生はおっしゃって、3週間分の薬を出してくれた。
それから、2日後、私は全ての薬を飲んで倒れた。
このころの記憶はとぎれとぎれ。
ほとんど仕事はしないまま、休職。休職中にもODをして入院させられた。
寝てもさめても、「もう自分には生きている価値が無い。死にたい」
と思ってた。泣き過ぎて、涙もかれた。何もする気が起きなかった。世界に色が無く、温度も感じなかった。暑いのか寒いのかも、わからなかった。
そんな日が1ヶ月くらい続いたころ、入院先の院長先生が私を呼んだ。
「ぼくはさあ、根拠は無いんだけどさあ、きっと、君は大丈夫だと思うんだ。」
「君は、ちゃんとできると思うよ。」
かれていたと思っていた涙が、流れてとまらなかった。一筋の光が差し込んだような気がした。
次の月から私は大学病院に転科し、今に至っている。
あの頃の苦しみが無かったら、今の私はない。あの一言が無かったら、私はここにはいないだろう。
決して自慢できる過去じゃないけど、私には大事な時間だったのだと思う。
今、いろいろ苦しんでいる研修医の先生もいると思うけど、人生は長いからいつ、好転するかわからないし、苦しくてもとりあえず生き続けて現場にい続けて欲しいなと思います。
今、ちょうどNHKで研修医のテレビをみながらブログかいてます。
若い卒業したての夢と希望に満ち溢れた研修医が、現場で命を扱うことの厳しさや自分が何もできないことへの絶望を感じて戸惑う姿。
8年前の自分を、私はとても苦い思いで振り返る。
私は卒業して実家の近くの、最近では臨牀研修医制度がよいことで有名な病院にスーパーローテート制度の研修医として働き始めた。そのころはスーパーローテートを希望する人は1,2割くらいだった。ほとんどの同級生は卒業した大学病院に就職していた。
地方のアットホームな、悪く言うと馴れ合いの、国立大学の医学部を卒業した私は、試験も医学部の優秀な友達のノートを借りて乗り切ったような、学生だった。それでも、有名高校をでて現役で医学部に入ったという強烈なプライドが私にはあった。
研修して2ヶ月目。付き合っていた恋人と連絡が取れなくなった。電話しても留守電。返事は来ない。
その彼は都心のこれまた臨牀研修医制度の人気NO.1の病院で働いてた。そこは、きれいな看護婦さんがたくさんいることでも有名だった。
私は、眠れなくなり、一日中彼の電話を待ってた。
日中は集中力が無くなり、病院へ行くのがだんだんいやになっていった。何をやっても、私はだめだ、と思った。点滴を失敗しては泣き、オーダーを出し忘れては看護師さんに怒られ、ミーティングに遅刻しては上司に呼び出された。
ある日、私は朝、病院にいけなくなった。母は泣いたり怒ったりしていたが、最終的には病院に「娘は具合が悪くていけないそうです。」と電話を入れてくれた。
次の日、病院へ行くと、上司に呼ばれた。「心療内科を受診したら?」
上司に悪気はなかったのだろう。明らかに、私はおかしかったのだから。
でも、私は言葉では言い表せないほど、傷ついた。
受診後、「研修が始まって、疲れてしまったんだね。」と心療内科の有名な先生はおっしゃって、3週間分の薬を出してくれた。
それから、2日後、私は全ての薬を飲んで倒れた。
このころの記憶はとぎれとぎれ。
ほとんど仕事はしないまま、休職。休職中にもODをして入院させられた。
寝てもさめても、「もう自分には生きている価値が無い。死にたい」
と思ってた。泣き過ぎて、涙もかれた。何もする気が起きなかった。世界に色が無く、温度も感じなかった。暑いのか寒いのかも、わからなかった。
そんな日が1ヶ月くらい続いたころ、入院先の院長先生が私を呼んだ。
「ぼくはさあ、根拠は無いんだけどさあ、きっと、君は大丈夫だと思うんだ。」
「君は、ちゃんとできると思うよ。」
かれていたと思っていた涙が、流れてとまらなかった。一筋の光が差し込んだような気がした。
次の月から私は大学病院に転科し、今に至っている。
あの頃の苦しみが無かったら、今の私はない。あの一言が無かったら、私はここにはいないだろう。
決して自慢できる過去じゃないけど、私には大事な時間だったのだと思う。
今、いろいろ苦しんでいる研修医の先生もいると思うけど、人生は長いからいつ、好転するかわからないし、苦しくてもとりあえず生き続けて現場にい続けて欲しいなと思います。
by runa123
| 2005-03-13 21:42
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女性麻酔科医るなの日々思うことなど・・・
by runa123
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